@article{oai:geitan.repo.nii.ac.jp:00001310, author = {後藤, 一美 and Gotoh, Kazumi}, journal = {大分県立芸術文化短期大学研究紀要}, month = {Jan}, note = {P(論文), 本稿ではアーノルドの審美的な教養観を、その代表的な著作である『教養と無秩序』を中心に見てみよう。論に入る前に、アーノルドの教養観が決して単に審美的、文学的教養観ではないということを強調するために、特に確認しておきたいことが二点ある。第一に『教養と無秩序』は副題にAn Essay in Political and Social Criticismとあるように、『教養と無秩序』発刊当時(1869年)のイギリスの政治・社会状況を念頭に置いて書かれたものである、ということである。アーノルド自身も『教養と無秩序』の「序文」において、この著作の目的は「教養をイギリスの窮境を救うものとして推奨すること」と述べている。アーノルドの教養観は、一見非常に観念的、高踏的響きを持っているかに見えるが、その教養観はあくまでも当時の政治・社会状況を踏まえてのそれであり、決して現実と遊離した、偏頗な文学的、審美的論調ではない、ということである。第二にアーノルドに『教養と無秩序』を執筆せしめた当時の政治社会状況とは、要約すれば、およそ次のような状況であった。すなわち、相次ぐ戦争を勝ち抜き、ナポレオンをも打ち負かしてヨーロッパに長期にわたる平和を招来したイギリス政府は、構築したイギリス国内の政治的社会的秩序を守るための非常な困難に直面していた。それは、換言すれば、当時のイギリス社会を構成する三大階級(上流、中流、労働者階級)間の階級闘争といってもよい。産業革命によって台頭してきた中流階級を、さらには圧倒的な多数派をなす労働者階級を、既存の秩序にいかに組み込み社会的安定を確保するか、それがイギリス政府の当面する最大の国内問題であった。中・下層からの民主化の要求、それは歴史上イギリスが直面したことのない未曾有の大きな社会的うねりをなす動きであり、もしこの収束に失敗すれば、政治を牛耳っている上流階級(貴族)の存立が脅かされ、内乱をも招きかねないという状況であった。これに加えて、国内を二分する国教徒と非国教徒間の宗教上の対立も深刻であった。政治、社会、経済、宗教、思想、さらに教育など広範囲にまたがる「秩序の喪失」(アーノルドはこれを「無秩序」と呼んだ)をいかにして克服し、本来の「人間」のあり方の指針を示すことができるのか。アーノルドの『教養と無秩序』は、それを示すために書かれたものであり、その教養観は、如上の諸般のイギリスの現状を踏まえた上での提言なのである。}, pages = {31--45}, title = {アーノルドの教養観(その3)}, volume = {42}, year = {2005}, yomi = {ゴトウ, カズミ} }